わたしが住む岐阜には金華山という山がある。市内の大体どこからでも見え、小学生の遠足やハイキングで気軽に登れる標高392メートルの山である。
さて、京都にも大文字山という山がある。如意ヶ嶽という雄々しい名前もあるが、山腹に見える「大」の字があまりに有名なので誰も彼も「大文字山」と呼んでいる。
わたしが京都の街を好きなのは、故郷の岐阜とどこか似た山があるからかもしれない。
朝早くの新幹線で京都に着いてから、わたしは一目散に銀閣寺を目指した。といっても銀閣寺はまだ開門しておらず、目指すところは脇にある大文字山の登山口である。意外と肌寒い朝だったのでポカリスエットを買うべきか迷ったが、ひとまず一本買ってから登山口へ分け入った。

昨日降った雨のせいか、ややぬかるむ地面に苦戦しながら登っていく。5分も山に入れば街の喧騒はたちまちかき消えて、風に葉が擦れる音や鳥のさえずりや水の音、そして早くも荒くなった自分の息遣いが聞こえるだけになった。
たまにすれ違う登山者と挨拶を交わしながら登ってゆく。自分が息を切らしながら登っているせいか。誰もかれも「朝のウォーキングのついでに登りにきましたよ」と澄まし顔の登山上級者の顔のように見えてくる。中盤にある木組の階段辺りからはさらに息が上がって、たまらずポカリスエットをごくごく飲んだ。
大学生の頃はサークル仲間と昼も夜も問わずよく登っていたし(毎年夏には大文字山で流星群を見る会、という催しもあった。夜中にライトひとつで山を登るという、今考えると怖いもの知らずなイベントである)、授業の一環で登ることもあった。
もし今のわたしと一緒に登山をしていたら、大学生の頃のわたしは歯痒くなって仕方がないだろう。それほど今のわたしは体力が落ちてゆっくりと山を登っている。しかし嘆いたところで疲れが消えたり早く登れたりすることもなく、結局は自分のペースでひとつずつ登っていくしかない。

最後の難所である火床の石段の途中で振り返る。
不思議なことに大文字山は登るたびに違う道順で火床へ辿り着くので、ひょっとしたら狸に化かされているのかもしれない。

なんとか火床の休憩所へたどり着いた。風が爽やかに吹いて清々しい。

あれが御所、あれが下鴨神社、昔住んでいたアパートは多分あの辺り…と目を凝らして京都の街を見下ろしてみる。
朝9時前にもかかわらず火床には数人の登山客がいた。大半は清々しいような魂が抜けたような顔で石段に腰を下ろしていたが、二人組の女子大生だけは街を見下ろしながら写真を撮ったり歩き回ったりと忙しくしていた。若いことは良きことなり。


さて、のんびりとひと通り風に吹かれたところで下山する。
わたしは行きは銀閣寺の脇から登って帰りは法然院へ降りるルートが好きなので、来た道とは違う道を下っていく。

観察の森と名付けられたその道は登山道というよりは山道に近く、他の登山者とすれ違うことはほとんどない。
ほんのり暗い道も多く、初めてこのルートで下山した時は心細いやら迷った気がするやらで泣きそうになり、やっと下山したはいいが法然院裏手の墓地へ辿り着いてしまってびっくりしたことを覚えている。







下山している時から腹の虫が唸って仕方がなかったので、白川通にある「swimpond coffee」へ向かった。
大きな看板も出ておらず、一見しただけではカフェとは分からない。岐阜から移住してきたというご夫婦もひっそり静かな雰囲気だが、それこそが街の中のひそかな止まり木のようで心地いい。

バターを塗っただけのシンプルなトーストはもっちりと柔らかくて香ばしい。特に耳がむっちりふわふわとしていてなんとも美味だ。
卵は絶妙な半熟加減で塩が振られている。濃厚でまろやかな黄身と、ぷりんとやさしい白身がいいバランス。
牛乳はわたしが大好きな低温殺菌牛乳で、何一つとして手抜きがない丁寧な味わいが好ましかった。
隣はガケ書房であった頃から通っている「ホホホ座」のゲストハウスになっていて、次の長期休暇はここへ一週間くらい逗留してみるのも面白いかもしれないと考えている。
白川通を渡ってやや急な坂道と石段を登ると、真如堂の三重塔に出くわした。紅葉の頃に大変な賑わいを見せるこの寺は新緑もそれはそれで見応えがあるものの、まだそれほど人の目には留まっていない。
参道の平坦な石段も塔の裏手の小道も、みな萌え出る緑一色に染まっていた。








金戒光明寺の山門をくぐって丸太町通、岡崎通と進んでいく。大学生の頃は授業を抜け出しては真如堂から光明寺を通って平安神宮まで散歩し、たまに動物園や美術館を冷やかしに寄っていたものだった。今はさすがゴールデンウィークというべきか、どこも家族連れで溢れていた。




京都に来たら必ず寄りたくなる店は何軒もあるが、平安神宮へ来た時は決まって「LA VOITURE」を訪れる。
名物のタルトタタンは昔と何も変わらず、とろりと甘く舌の上で林檎が溶けていく。カットの先端は甘さが際立ってヨーグルトソースとの相性がよく、端へ行けば行くほど林檎がねっちりと煮詰められた食感に変わって仄かに苦味がかっていくのがたまらなく良い。
この時すでに1万8000歩近く歩いていて、テーブルに映った緑や陽に透ける林檎と紅茶を眺めながら少しの間休憩した。



タルトタタンで休憩後、バスに乗って白川通と今出川通の交差点で下車した。ここから北のエリアは北白川といい、緑が揺れる並木やお洒落な雑貨屋やカフェが立ち並んでいる。
手作りのジャムや彫金の指輪がかわいい「ちせ」、大学の友人がバイトしていた「エキュバランス」、もっさりとした植物に覆われた「そうげんカフェ」など懐かしい店と記憶を思い返しながら北へ北へと歩いていく。
山を右に見ながら歩いていた白川通をさらに右へ折れ、やや急な坂道を登って詩仙堂へ向かう。
詩仙堂も真如堂と同じく隠れた青紅葉の名所だが、やはり人影はまばらだった。庭園の縁側に腰掛けて、綺麗にまぁるく刈り込まれた植木を眺めてみる。
鹿おどしと水の音に混ざってコロコロカラコロ、と不思議な鳴き声が聞こえてきた。後でお寺の方に尋ねてみると、どうやらカエルの鳴き声らしい。岐阜の実家も周りは田んぼばかりのカエル天国だったが、そこでは聞いたことのないような可愛らしい鳴き声だった。京都のカエルは鳴き声も雅なのか。



カエルの声に聞き惚れた後、曼殊院道を通って一乗寺駅から叡山電車に乗った。そのまま昔住んでいたアパートの最寄駅を通り過ぎ、出町柳駅で下車。今日もカップルや大学生や家族連れで賑わうデルタを横目に、下鴨神社の参道をゆっくり歩いた。


糺の森は京都の街中にありながら、名前の通りまさしく「森」である。ケヤキやムクノキ、シイの木などたくさんの木々が立ち並び、明るいところは明るく、そして暗いところは暗い。
カーテンのようにどこまでも続く緑のトンネルを進んだ先に、突如として朱色の鳥居と楼門が現れるのも鮮やかだ。
だんだんと夕暮れの時間帯、厚い緑の木々に覆われた境内は街中よりも早めに暗くなっていく。午前中は目に眩しいくらい輝いていた緑はうんと柔らかくなり、そのまま木からポタポタと緑の雫になって落ちてきそうなくらいしっとりとしていた。

京都ではいつもたいてい同じ店ばかりに通っているが、今回は最後に新しい店を開拓することにした。
「星の球」という名前のその店は羊好きのオーナーが切り盛りしていて、メニューはもちろん内装や小物まで羊で溢れたかわいい店だった。


昔住んでいたアパートの目と鼻の先に、こんなに素敵な店ができていたことが嬉しい。京都を訪れるにつれて昔通っていた店が閉店する寂しさを幾度となく味わっていたけれど、こうやって新しい良い店を見つけていけるのも京都を訪れる楽しみの一つになるといい。

Fin.

※コメントは最大100文字、5回まで送信できます