わたしは夏が好きではない。何をするにもただひたすら暑くて、ちょっとスーパーへ買い物に行くのも億劫になる。ましてや遠出をする気にはならず、夏の休日は空調の効いた室内で本を読んだりゴロゴロしたりするのが毎年の定番になっている。
しかし世間はちょうど夏休みの真っ只中で、電車の中吊り広告も雑誌の特集も一面夏のレジャー(主にアウトドア)のことを見ない日はない。そこまで言われるとなんだか出かけないのが勿体ないような気がして、一度は夏らしいことを満喫してみたくなってしまった。
さて、夏遊びの定番といえば海である。しかしもちろん岐阜に海はないので、たいていの岐阜市民にとっての水遊びは「川」が舞台になる。海は無くても板取川や長良川、そして今日の目的地である「円原川」など市街地から1時間も車を走らせれば清流沿いにキャンプ場が点在し、BBQや川遊びをする家族連れでにぎわっている。
車を運転できないわたしは入念にバスの路線図や時刻表と睨めっこした。岐阜駅から終点の「谷合」までバスに乗り、そこからは地域コミュニティバスに乗り換えておよそ1時間半、乗客はわたし一人だった。
円原川へ行く前に昼食のため「舟伏の里へおんせぇよぉ~」を訪れた。ここは山県市で生まれ育ったお母さんたちが営む食堂で、「おんせぇよぉ」とは岐阜弁で「よく来たね」とか「いらっしゃい」のようなニュアンスをいう。素朴な古民家やおばあちゃんたちに出迎えられて、私の祖母も夏休みに遊びに来たわたしに「ようおんさったな」と笑いかけてくれたことを思い出した。
静かな山間の食堂でありながら山菜や畑の野菜を使った田舎料理が人気のようで、バスに乗ってオープン30分前に着いた時には既に数組が受付を済ませて待っていた。

一番人気の「舟伏の里 特製ランチ」は田舎料理と言ってしまうことが憚られるほど品数が多く豪華で、籠に盛られた小鉢には煮豆や白和えやポテトサラダなど家庭料理が並んでいた。夏野菜の天ぷらやフルーツトマトのゼリー、程よく浸かったきゅうりの漬物などメニューの一つ一つに里山の夏を感じたことも嬉しい。
少し固めで小さな煮豆や旨みのある味噌汁は夏休みに祖母の家で食べた手料理とよく似た味がした。わたしの味覚のベースを形作ったのは間違いなく母の味なのだけれど、それとは別枠で祖母の味付けも確かにひとつの思い出として残っている。「おんせぇよぉ~」のご飯はそんな風に記憶の中の懐かしい味わいを思い起こさせる料理だった。
じっくり味わって食べ終えると時計はちょうど12時を指していた。ここから川まではあいにくバスはないので、のどかな集落を30分ほどかけてゆっくり歩くことにした。
橋を渡り緩やかな坂道を登っていくと、右手に細長い鉄板のような橋と青く澄んだ川が現れた。ここをもう少し上流へ登ったところが目指す円原川だ。
円原川は山を流れる水がいったん地中へ潜り込んで再び湧き出す「伏流水」で、青く碧にゆらめく水面の美しさにしばらく見惚れてしまった。浅い川底にある石ころに光が反射してきらきら輝き、そこからだんだん深くなるにつれて淡いブルーがグラデーションのように濃くなっていく。


階段をつたって浅瀬へ降り、ぽいぽいと靴下と靴を脱いで足をひたす。そのままふくらはぎまでたっぷりひたして涼を取るイメージをしていたけれど、実際は冷たすぎて3秒もひたしていられなかった。
足を水にひたしては上げ、ひたしては上げを繰り返しながらパチャパチャと水と戯れていると、だんだんと肌を刺すような冷たさが気にならないようになった。

ふと手元のスマホを確認すると圏外になっていた。まぁいいか、とスマホをバッグにしまって無心で水と戯れる。
ふっと息を大きく長く吐くと、世界には水音と蝉の声だけが響いていた。
水がさらさら柔らかく流れる音、岩にあたってちゃぷんと砕ける音、遠いどこかでどうどうとほとばしる音。蝉は蝉で我が世の春と言わんばかりにジリジリジリ、みぃんみん、わしゃわしゃと忙しい。けれど職場の近くで聞いているような耳をつんざくような大合唱ではなく、木の葉が擦れ合うさざめきに重なるような音楽的な響きがあった。
円原川は「日本一の伏流水」としてメディアに取り上げられることも増えてきたが、今日訪れた場所は浅瀬のため泳げるほど深くもなく、またバーベキューなどのアウトドアができるような広い場所がなかったせいか、静かに閑散としていた。おかげでのんびりとせせらぎを満喫することができ、ひと時だけでも暑い夏をすっかり忘れることができた。次回はサンダルを持ってきて川底を歩いてみたり、本を持ってきて涼みながら読書を楽しむのもいい。

名残惜しくも帰りのバスの時間が近づいていたので、足を拭いて川から上がり、来た道を引き返すことにした。
帰りのバスは途中まで乗客はわたし一人だったが、山県バスターミナルを過ぎる頃からぐっと乗客が多くなった。何を隠そう今日は年に一度の花火大会の日で、車内はあっという間に浴衣を着たカップルや親子連れで満員になった。長良天神あたりからは東京の電車もかくやという程のぎゅうぎゅう詰めになり、いくつかのバス停は止まることすらなく素通りされていた。花火大会が終わるまであそこにバスが停まることは永遠に無い気がするので、きっと歩いた方が早いだろう。
長良橋で大半の乗客が吐き出された後、わたしはすぐ次のバス停で降りてお気に入りのカフェ「YAJIMA COFFEE」に滑り込んだ。店主の矢島さんは相変わらずダンディな髭姿で快活としている。
ショーケースには幸運にも数種類のケーキが残っていて、レモンに目がないわたしは迷わず鮮やかなイエローがまぶしい「タルトシトロン」を選んだ。さっくり軽く香ばしいタルト生地ときゅっと酸っぱいレモンカードが爽やかで美味しい。
アイスコーヒーで喉を潤す間に店内の客は一人また一人と席を立っていった。おそらく花火会場へ向かったのだろう。店の前も浴衣を着た人々が続々と通り過ぎていく。
さて、この後どうしようかとわたしは思案した。どうせ岐阜駅方面のバスはガラガラだろうから、このまま家に帰って涼しく素麺を食べてもいい。けれどまあ、せっかく今日は夏らしいことをしようと決めたのだから花火を見たい気もする。できるだけ人波を避けて移動すればいいかと心を決め、わたしは道行く人とは逆方向にメディアコスモスに向かって歩き出した。
夜のメディアコスモスはなんだか秘密基地めいた雰囲気がある。館内はぼんやりと温かいオレンジのライトが灯り、昼間の明るく開放的な空間とはまったく違う顔を見せている。小学生の頃に夜ごと枕元の電気をつけて本を読み漁ったような、懐かしくもやや背徳的な感覚になる。
適当な雑誌を手に取って、ぺらりぺらりと捲っていく。とっぷりと本の世界に没入して読むことも勿論好きだが、こうやって本の表面をブラシで撫ぜるようなとりとめない読み方もまた気に入っている。そうやって読みふけっていると時刻は19時を少し過ぎたころになり、わたしはそろそろと腰を上げた。
図書館の外はもうめっきり夜になっていた。日中の強烈な日差しはようやく鳴りを潜め、涼しい風が首を撫でていく。忠節橋通は一帯が歩行者天国になっていて、車のいない道路のど真ん中を堂々と歩いているのがまさにお祭り、非日常という感じがした。
人の波に紛れながら北へ北へ向かっていくと、橋の上の真ん中あたりでカウントダウンとともに花火が始まった。歓声を上げる人々とそれをなんとか歩かせようとする警察官を横目に見ながら、そそくさと人波をすり抜けて橋を渡り切る。
目当てのスポットでは地元の住民と思しき人々が思い思いにキャンプ椅子やテーブルを広げて花火を見上げていた。パッと色とりどりの光が夜空に浮かんだ少し後に、ドンドンと心臓を直接叩いてくるような地響きが鳴って、時々花火と共演している音楽も風に乗って聴こえてきた。
しばらくそうやって30分程花火を堪能したあと、人混みでもみくちゃにされることを徹底的に避けようとわたしは一足早く会場を後にした。粘り強くフィナーレまで見ていては人混みで大変花火の余韻に浸りながらひたすら南へ歩き、40分ほどかけて自宅へたどり着いた。日中の殺人的な暑さでは40分歩くことなんて考えられないのに、夜は程よく涼しい風が吹いていてむしろ歩きたい気持ちになった。
冷蔵庫からキンと冷えたアクエリアスを出して一気飲みするとぐったりと疲労感がやってきて、充実した夏の一日だったなあと今日一日を振り返った。

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